佐々木正『はじめに仮説ありき』(クレスト選書)


哲学なき技術は滅びる

柳生家の人々は護身からさらに進んで、たとえ敵がいなくとも、剣の修行を通して自分の生き方を高めていこうとしたのである。これによって「剣術」は「剣道」となり、今日まで脈々と受け継がれてきたわけである。
 一方、柳生の里を通って伊賀上野に抜けると、そこには忍者屋敷がある。ここで忍者が使っていた刀は、柳生の日本刀のように長いものではなく、短刀ばかりだった。また、手裏剣のような飛び道具もある。
 つまり忍術というのは、ひたすら相手を殺すための道具やテクニックを追及していたわけだ。その結果、彼らは「忍術」から「忍道」への方向を見出せず、やがてこの世から消えていった。
 このように「道」が「術」を駆逐したのは柔道も同じことである。―
 いずれの場合も、「術」は滅び、「道」が生き残る。両者の差を決定づけるのは、「人間は、いかに生きるべきか」を模索する「哲学」の有無である。あるいは、それを「仮説」または「ソフト」と呼ぶこともできるだろう。
 剣術は、日本刀というハードに人生哲学というソフトを組み込むことによって、剣道になったのである。―
いま技術者には「術」から「道」への転換が求められている。「技術」ではなく「技道」である。
「技術のための技術」ではなく、哲学を持った技術。そこでは目先の利益を追い求めるのではなく、いかに人を幸福に生かすかというビジョンを持つことが不可欠だ。そのビジョンを見据えて前進していく過程が、「技道」という「道」なのである。

■「道」が見いだせない「術」は残らない。哲学を持った技術「技道」を志すべし、と。

真の「情報」とは何か

多くの学術的な用語がそうであるように、「情報」という言葉も昔から日本にあったものではない。もともと西洋で生まれた概念だから、それに該当する日本語は存在しなかったわけだ。 最初に「情報」という言葉を使ったのは森鴎外で、ドイツ語の‘Nachrichten’ナッハリヒテンを翻訳したものだった。 このドイツ語をどう訳すか、鴎外はかなり頭を悩ませたという。‘Nachrichten’には、「報告」という意味合いもある。鴎外が文学者ではなく、単なる医者だったら、おそらくシンプルに「報告」と訳していただろう。しかし、それでは「情報工学」という概念の正しいニュアンスは伝わらなかったにちがいない。―
「情報」と「報告」では、ずいぶんニュアンスが違う。「報告」だと、そこにあるデータを機械的に分析して右から左へ事実を伝達するだけだ。そこには「情」が入っていない。「情」とは、ある種の「判断」のことである。―
どれが必要なデータで、どれが不必要なデータかを「判断」して伝えるのが「情報」というわけだ。鴎外が「情」という文字を入れてくれたお陰で、日本人はハードとソフトを組み合わせるという認識を持つことができたのである。―
多くの人々が、あたかも「情報」の洪水のなかで生活しているように感じていることだろう。ところが、それによって私たちの暮らしが豊かになっているかというと、けっしてそういう実感はないのではないだろうか。 それは、世の中に反乱しているデータが「情」の抜けた「報告」のレベルで止まっているからだと、私は思う。国語辞典を最初から最後まで読破しても国語力がつくわけではないのと同じように、膨大な分量のデータを一方的に垂れ流されたところで、それが人々の豊かさと結びつくとはかぎらない。「情」というフィルターをかけて処理したときに初めて、そのデータは人々の生活に役に立つ「情報」として生きてくるのである。 そして「情」とは「判断」である以上、情報化社会の主役はハードではなく、ソフトである。判断というソフトが先にあって、それを処理するハードが後からついていく。では、その判断の主体は何か。言うまでもなく、それは人間だ。もっとも優れたソフトは人間なのであって、人間の存在なしに「情報」は生まれない。人間というメディアを通じて送り出されるものが、真の「情報」となる。
 したがって、そこに関わる人間が多いほど、その情報は豊かなものになっていく。ひとりの人間から発信された情報を一方的に受信するだけでは、まだ「情」が足りない。受けた側がさらに自分の「情」を加えて返し、それを受けた側が再び「情」を足していく――こうした「判断」のキャッチボール、つまり人間同士の対話によって、私たちは豊かな情報を手にすることができるのである。

■鴎外の「情」を見習い、真の情報提供を考えていかないと。感覚的に面白いと思えないウェブサービスは機能だけの「報告」レベルなのかもしれない。面白いと思うか、「情」が足されているか哲学はあるかといったことを評価するには、やはり人間同士の対話がヒントになるのかな。

孫正義との出会い

彼が私を訪れたときのことは、今でもよく覚えている。 一九歳といえば、青年というより、まだ少年の面影が残っている年齢である。その彼が、手製の翻訳機を風呂敷に包んで、お父さんに連れられて入ってきた。さすがに面食らったが、翻訳機そのものは実によくできている。「これはいける」と感じた私は、彼が作った英語、フランス語、ドイツ語などの翻訳ソフトを、一億円程度で買い取った。その結果、松下よりも先に電卓の翻訳機を市場に出すことができたのである。

■すごいエピソードですが、孫正義が技術畑出身なのだなという意外な発見。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク